1949-12-23 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第5号
ナホトカから逆送された人員につきまして、私がナホトカ收容所に到着いたしましたのが本年の六月二十五日、帰国阻止に遭いまして、十月の十九日まで残つておりました。その間勿論作業一切は自分は拒否をして出ておりません。その間に集めましたところの情報、第一回白石、これはハルピンの特務機関におりました白石少尉以下その外七十六名、これが八月の十四日伐採という名前の下に出ております。
ナホトカから逆送された人員につきまして、私がナホトカ收容所に到着いたしましたのが本年の六月二十五日、帰国阻止に遭いまして、十月の十九日まで残つておりました。その間勿論作業一切は自分は拒否をして出ておりません。その間に集めましたところの情報、第一回白石、これはハルピンの特務機関におりました白石少尉以下その外七十六名、これが八月の十四日伐採という名前の下に出ております。
その次にこの委員会にもしばしば問題となつておりました、東京新聞にも採り上げられておりましたところの、帰還の船上から入水自殺したと傳えられておりますところの杉田茂の妻、及びこの杉田茂に附添つて帰つて参りました浦田孝之、以上十二名の証人を喚問することにいたしまして、尚十一日には、日本新聞関係と、人民裁判の執行者は翌十二日に廻すことにいたしまして、十一日には増淵俊一、中村良光、外もう一名の被害者と、ナホトカ收容所
以上のような見地に立ちまして、当委員会がこの人民裁判を取上げて、そうして大体証人の喚門に関しましては、第一、日本新聞関係の方で日本に帰つて來ておられる、その次にナホトカにおける人民裁判を実施された、その次に人民裁判の犠牲となつた者、その次にナホトカ收容所の勤務者、これは第三者的な立場の者、それから、夙に我々委員会に疑問を投げ掛けられておりましたところの、先頃東京新聞にも掲載されました杉田茂関係の状態
私は帰還者報告の夕の席上で吉村彈劾の人民裁判は私の提唱で一昨年の八月末ナホトカ收容所で行なつた云々と語つておるが、そういうふうに人民裁判は私の提唱で行なつたということを言つたことがあるかないか、その一点だけの証言を求めればよいのである。
○淺岡信夫君 最近の宮崎発として、これは宮崎の市で開かれたソ連帰還者生活擁護同盟委員長の津村謙二氏は、十七日夜宮崎で開かれたソ連帰還者報告の夕の席上、吉村彈劾の人民裁判は、私の提唱で一昨年八月末ナホトカ收容所で行なつた云々と語つておりますが、こうした事実があるかどうか。